「ゆる体操指導員」に転職した理由(1)

神楽坂ゆる体操教室の20周年を機に、
少し「思い出モード」に入っているようです。

ご迷惑でなければ以下、
お付き合いお願いします・・・(笑)

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私は大学卒業後、この仕事を始める前に
12年半に渡り会社員をしていたのですが、
時折、

「どうして会社をやめてゆる体操の先生に
なったんですか?」

と聞かれることがあります。

実際には当時の色々な状況や気持ちが影響し、
自然とそのような「流れ」ができた、ということな
のですが、

それらの状況や気持ちを整理すると大きく
「3つの理由」
に落ち着きます。

今回はそのうちの1つの理由に関わる
お話をさせていただきます。

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私の勤めていた会社は子どもの教育に関す
る事業を行う会社でした。

会社での社歴がちょうど10年目を迎えた
32歳の時のこと。
私は新しく異動になった部署で、当時最先端
だった、インターネットを使った教育サービス
を開発する仕事に携わる等、公私ともに忙し
い毎日を過ごしていました。

本人は特に、自分に無理が掛かっている自覚
はなく、明るく精力的に毎日を過ごしていたの
ですが、
ある日突然、体調を崩して入院をすることとなっ
てしまいました。

病名は潰瘍性大腸炎。

突然腸から出血が起こる、原因不明の難病で、
亡くなった安倍晋三元総理が罹患されていたこと
でも知られている、あの病気です。

症状が治まる「寛解期」と、また活動を始める
「再燃期」を繰り返し、
再燃期に入った時は入院の上、腸の状態が
回復するまで完全絶食。
半月から長い場合は1カ月ほど、点滴生活が
続きます。

この時は入院生活も含め、約2ヵ月ほど会社を
休職しました。

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それまでの10年間、
それなりに忙しく働いてきましたので、

「これもロングバケーション(当時流行ったドラ
マのタイトル)のようなものだ・・・」

と呑気に構えていたのですが、

職場に復帰後、半年ほどすると再燃し、1カ月
ほどの入院生活を送ることとなってしまいまし
た。

こうなるとさすがに、
その後の人生の過ごし方について真剣に考え
るざるを得なくなってきます。

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原因不明と言われるこの病気ですが、発症に
は心身のストレスが大きく関係していると言わ
れています。

1回目の休職後、会社は私の健康に配慮し、
なるべく負担がかからないように仕事の担当
を変更するなどの対応をし、私自身も無理が掛
からないよう細心の注意を払って過ごしていたつ
もりでした。

それでも、再燃してしまったのです。

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人間の体とストレスの関係は、
スーパーのレジ袋と、そこに入れる商品の関
係に似ています。

レジ袋の中にも5円の小さい袋と10円の大きい
袋があるように、
人間の許容量にも個人差があります。

でも、その許容量を超える量のストレスがか
かると、商品を無理やり詰め込もうとしたレジ袋と
同じように、その大きさに関係なく、いとも簡単に
壊れてしまいます。

心が先に壊れるか、体が先に壊れるか?
そこも個人差ですが、私の場合は、一番弱い
「腸」が先に壊れてしまったようです。

そして、一度ダメージを負ったことで、5円の
レジ袋にも満たない、
生モノを入れる半透明の無料袋くらいの許容量
に落ちてしまった

・・・それがこの時の私の状況でした。

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その、半透明の袋並みの許容量の状況から、
今後どうやって自分の人生を立て直していく
べきか?

具体的には

●自分の健康を守ること
●仕事をし、収入を得て生活を成り立たせる
こと

の2つをどのように両立させていけば良いの
か?

ということを、私は病院のベットの中で考え
続けました。

そして、その段階ではまだ薄っすらとした構想
だったと思いますが、

会社を辞めて、
(ちょうどこの頃からトレーニングに取り組み
始めていた)
「ゆる体操」で独立する

という思いを持つようになりました。

<以下、(2)に続く・・・>

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